美食ブログ

味覚を狂わす(食べ)物とマリアージュ

2013年06月26日

味覚を狂わす(食べ)物とマリアージュ
 いくつかの(食べ)物に、味覚を狂わす作用があることは有名である。
 インドに産する植物の葉を乾燥したギムネマ茶は、甘みを感じなくする。ギムネマ茶を飲用した後、砂糖をなめると、文字通り砂を噛むような感覚になる。この実験を皆でした後、タバコを吸った友人がニヤリと笑った。タバコの味も変わるらしい。
 アフリカのミラクルフルーツが、酸味を甘味に変えるのも有名である。体験していないので、どの程度の効果かはわからないが、酢を美味しそうに飲むタレントの映像は何度も見たことがある。

 一方、マリアージュと言われる現象もある。大抵は、ワインと料理の相性、それも相性が良いという意味でつかわれる。マリアージュがフランス語の「結婚」なので、相性が良いという意味になるのだろう。建前による使用ではある。
 マリアージュ、あるいは相性が良いと言われる食べ物の組み合わせの中には、自分の味覚が狂ったのではないかと思わせるものもある。
 ある種のチーズとこれもある種の赤ワインを口に含むと、どちらにも無い甘みが広がる。皮蛋とビールでも、同様の甘みを感じることがある。日本酒と魚介は、たいてい合うが、味覚が狂ったとまでは思われないことが多い。ただ、美味しいだけだ。
 マリアージュの逆、相性の悪い食べ物の組み合わせでも同じことがある。ワインと生の魚介類は、たいてい合わないが、時に吐き出したいと思うくらい嫌な味になることがある。探偵ナイトスクープで放送したのは、赤ワインとイカの塩辛、ワインと数の子、しめ鯖である(http://www.youtube.com/watch?v=OjzZIgKJhqo)。その時、出演者は本当に口の中のものを吐き出していた。演出なのだろうが、体験上、その気持ちがわからないではない。これだけまずくなると、(逆)マリアージュの問題なのか、味覚が狂わされたのかわからなくなる。

 本題から外れるが、生ガキとシャブリが合うのかどうかについては、議論が分かれている。というよりも、真っ向対立している。アレルギーの関係で自分で試すことができないので、歯がゆいばかりだ。
 ともかく、フランスでは、生ガキとシャブリは合うことになっている。これは、間違いのない事実だ。しかし、多くの日本人は、この組み合わせでは生臭さが強調されて、まずくなると感じている。おそらくそれが事実なのだろう。先に記した通り、私の体験では、ワインと魚介類はたいていは合わない。合う場合でも、ワインが魚介の味を邪魔をしない程度のことが多い。このことを早い時期におおやけにしたのは、マンガ「美味しんぼ」である。それまでは、生ガキにはシャブリというフランスの習慣がそのまま日本に受け入れられていた。「美味しんぼ」の主人公山岡は、生ガキにシャブリを飲むと生臭くて嫌になるという意味のことを言った。そこでやっと、日本人は生ガキにはシャブリという呪縛からのがれることができた。しかし、その後も、多くの専門家が生ガキにシャブリを特に山岡に反論することもなく認めていたように思う。
 反論らしきものを見たのは、「今日からちょっとワイン通」というスノッブの典型ともいうべき文章が何となく癖になる本の中である。その20ページに、「結局、相性なんて言うものは単なる好き嫌いの問題に過ぎないんじゃないか」と堂々と宣言し、以下のように書く、「なるほど、生ガキを食べて<シャブリ>を口に含むと、口の中に、磯の香りがフワーッと広がる。この取り合わせを、ベストマッチだと言う人は、この磯の香りを『好ましく』『爽やかに』感じているのだ。一方、合わないという人たちは、これを『生臭いニオイ』と感じてしまうという、それだけのことなんである。」。自説を主張する勇気は深く嘉するが、無茶苦茶だろう。正反対の評価を、「好き嫌いの問題」で片づけるのなら、うまいもまずいも好き嫌いの問題で、味をうんぬんなどできないということになろう。勿論、味をうんぬんできないという主張自体は、それほど馬鹿げたことではなく、一つの立場である。しかし、もしその立場をとるならワインをうんぬんする本など書くべきではないだろう。    
 著者の山田健氏は、サントリーの宣伝部に勤める人で、ワインと魚介が合わないとなるとワインの販売量の低下が招来されるかもしれず、立場上あまりよろしくないという事情を割り引いて考えるべきだろう。実際この本は、ワイン販売を促進するというバイアスのもとに書かれていると感じられる箇所が多々ある。ワインと魚介については、p108に以下の様な記載がある。「(『美味しんぼで』)『白ワインは魚介類の生臭さをあおるから、絶対に合わない』というたぐいの新説を開陳していた。魚介類に合う酒は、日本酒だけなんだそうだ。信じられますか?そんなことを言っちゃったら、日本人以外のほとんどすべての外国人が、魚の生臭さもわからない舌馬鹿で、まともな舌を持っているのは、日本人だけということになっちゃうではないか。」。
 「信じられますか?」と、縦書きの文章にクエスチョンマークを使って問いかけているが、私には概ね「信じられる」。後に続く、「ほとんどすべての外国人が舌馬鹿になってしまう」論は、論敵の理論を誇張して極論と思わせる手法で、正当な議論にはなっていない。実際、「美味しんぼ」は、外国人ことは触れられておらず、「ほとんどすべての外国人」と付け加えているのも、「舌馬鹿」と言っているのも山田氏である。つまり、山田氏が極論に仕立てあげているのである。実際は、「ほとんどすべての外国人」ではなく、中国人や酒を飲まないイスラム圏、ワインができない地域の人、アフリカの熱帯の人々は、この議論には関係がない。つまり、大半の外国人は、関係がない。関係するのは、おおむねヨーロッパ人で、魚介と白ワインが合うと思っている人であり、その人が「舌馬鹿」と言っているのでもなく、生臭さに鈍いかもしれないということである。「舌馬鹿」というと、すべての味がわからないかのような極論になってしまう。少なくとも、フランスに住んだ経験からは、フランス人が生臭さに鈍い可能ではあると思う。市場には、日本ではとても売れないと思うような生臭い魚が並んでいるし、三ツ星、二つ星ではそんなことはないが、一つ星レストランで明らかに古くて臭いサーモンのタルタルを出されたことがあった。逆に、肉の味わいについては、フランス人の方が繊細かもしれないのである。
 最近、さらに新しい説を読んだ。やはりマンガの「神の雫」の中である。それによると、高級なシャブリは生ガキに合わないが、安いシャブリは合うのだそうである。そんなことが、あるのだろうか。アレルギーがなければ、試してみたい。ただ、少なくとも、「神の雫」の作者は、生ガキと特級シャブリは合わないと考えている。
 この他にも、日本とフランスでのカキの種類の違いを考慮しなければならないだろうから、話はさらに複雑になる。

 閑話休題。
 これらの例から、どういう場合に味覚を狂わされたと感じ、どういう場合に食材の相性と感じるかについては、三つぐらいの要素があるように思われる。味覚の変化の大きさ、味覚の変化の持続時間、味覚を変化させる原因食材がはっきりしているということである。勿論、変化の大きさは大きいほど、持続時間は長いほど、原因ははっきりしているほど、味覚が狂わされたと感じる。味覚の変化は大きくとも、変化の持続時間が短く、原因がどちらかになく食材の組み合わせであると感じられるなら、それはマリアージュの問題である。
 意図してギムネマ茶やミラクルフルーツを摂取するのではなく、通常の生活で味覚が狂わされたと感じることはそれほど多くないが、あることはある。私は、クレソンを食べると、その後しばらくの間味覚が変化したように感じる。変化というより麻痺的な感じかもしれない。
 これも麻痺的な変化なのかもしれないが、最近、比較的味覚が狂ったという印象をうける体験をした。この長い文章はそれを紹介するための、前書きであった。それは、蓼である。アユに添えられた蓼を食べて、その後しばらくしてほうじ茶を飲むと甘く感じたのである。最近では、最も不思議な体験だった。
                     2014.5.26